東京芸術劇場で行われた「カントールと演劇の二十世紀」という企画の中のワークショップ「カントールの舞台の俳優術」に行ってきた。全3日間、芸劇地下のリハーサル室で行った。
タデウシュ・カントールの作品は映像で何度か見ていて、その度に舞台から観客席に劇の時間が一方的にしかも地続きに溢れ出てくるさま、その強度に変化がないさまに驚く。そしていつも、どうやったらこういう状態の人間が舞台に現れるのだろうと思っていた。
今回のワークショップの講師リュトゥカ・リーバ氏いわく、カントールの演出方法にメソッドやテクニックと言えるものはない。そこで、創作の過程でリーバ氏自身が俳優として感じ取ったカントール演出の根幹をpracticという名前のワークショップにして、理解させてくれた。
ちなみにリーバ氏はもともと俳優ではなく、カントールと出会ったときは言語学を専門とする研究者であり、通訳としてイタリアに来ていたCricot2のアテンドをしていた。その際カントールが「あなたはcricot2の俳優になります。」とリーバ氏に告げたそうだ。
3日間を終えて、カントールの演出について、ああ、なるほどそうだったのか、と腑に落ちた点が大きく2つある。それらの点に沿って具体的なワークショップの内容を書き留めておきたい。(加えて最後にリーバ氏に答えていただいたカントール演出に対するQ&Aを書いておく)
①モノとヒトは同格。
俳優がモノのレベルにおとしめられるのではなく、モノ(オブジェ)が俳優と同レベルに引き上げられる。だから、モノをモノとして舞台上で存在させるための演技を俳優は求められる。
リーバ氏は「モノに演技させる」という言葉遣いをよくしていた。
具体的にpraticでは
一人が一つモノ(椅子や靴やカバンや鍋など)を選んで、それを「自分が知っているモノ」あるいは「知らないモノ」のどちらかの設定を選んで舞台に登場する。知っているモノの場合はモノと共に登場する。知らないモノの場合はモノはすでに舞台上にあり、俳優だけがソデから登場する。
そして俳優はモノを良く見る。トンカチが相手なら、いったんトンカチという概念をとっぱらって、形や重さや色や音をそのまま受け取り動きに反映させていく。
横になっているトンカチを手にとって重さを感じ、床に立ててみる。でっぱりがついていて倒れそうになるのを支える。もう一度立てる。今度はわざと支えない。大きな音がする。音に耳をすます…といったような具合。
(「受け取る」という言葉に下線を引いたが、この部分が次の②にも関わってくる重要なポイントで、ある要素がある要素のままで別な要素と共存する道を探り合う、ことが「出来事」というかたまりへと発展していく。)
このとき面白いと思ったのは「観客のためにすべてを行っていると意識するように」というリーバ氏の指摘。トンカチを相手にうんぬんしている時は常に、そのうんぬんを逐一観客と共有するためにやっている。
ここで、ああそうか、と思ったのだが、カントールの作品では、俳優がトンカチをいわゆるトンカチとしてあつかっていない。だから彼らは、そこにいる観客もいわゆる観客として捉えていない。でも、まさにそこで見ている人間がいるとははっきりとらえている。その先で「どのように」俳優が観客を捉えているかは観客は知りようがない。その脅威。これがこの文章の最初に書いた「舞台から観客席に劇の時間が一方的にしかも地続きに溢れ出てくるさま」になる。
つまりカントール演劇においては「存在するそのモノにまとわりついている観念を、どこまで削ぎ落とせるか」という勝負がその第一歩なわけで、この厳しい道を経ないと先がない。あのような時代背景の中で演劇を作ってきた人がこういうことをやっていたと思うと、なるほど、と思った。
②eventの中にすべてを並置する。
舞台全体をダイナミックに捉えること。絵画的に。
中央や上手や下手などのポジションに意味はない。
具体的にpraticでは
空間をキャンバスに見立てて、ひとりひとつモノを配置していく。演技はしない。ただ置くだけ。例えば、参加者全員がひとり一着選んで服を舞台に置いていく。青いツナギや、白いスカートが配置されていく。ある時点でリーバ氏がストップをかけ、いまの空間の状態を解説する。
そのとき基準になっているのが、モノ同士がどれだけ個別性を保ったまま、他と関係できているかという点。対立を生みながら配していく。茶色いコートの塊にピンクの花柄のワンピースがまとわりついているのはカントール的空間の場合にはあまり構成に貢献していない。白いスカートの横に黒いジャケットが配されている、その向こうに青いツナギに赤いセーターが置かれているのは貢献している。など。
practicでは最終的に人間を舞台に配置した。参考イメージは、沈みかかった船で生き延びようとしている人々。かたまりなんだけど、個が個であるままに。皆止まっているのが大変だったと思う。私は一番最後にオブジェになったので、申し訳ない。だけど、この人間のかたまりはちょっとすごかった。
次の段階では、人間が動きながらひとりひとつのセリフだけを言いながら舞台上で影響しあいながら空間を構成する。これは3日間という時間ではかなり難しく、生煮えになってしまった感があったが、目指すところは、上記の経緯を踏まえれば想像できる。
つまり、「ある要素がある要素のままで別な要素と共存する道を探り合う」ということはカントールの舞台では、モノの配置という空間の構成から発展して、モノとヒトの関係、ヒトとヒトの関係、モノとモノの関係、が等価に配置換えされ続ける=出来事 ということだ。
保たれるインディビジュアルが出来事を生む。
ちょっと乱暴ですが、備忘録なので筆のスピードを重視した。
=====Q&A=====
Q.1 カントールは具体的にどういう段取りでeventを作っていたのか。
A.1 稽古場ではカントールが俳優たちにある設定を与える。たとえば『ヴィエロポーレ、ヴィエロポーレ』では、「食卓で4人の人がこのテーブルに座りそのうちのこの人がこれから兵士になる、という話をしている状況だ。さあ、やってみて。」というように。そして俳優が即興的に動き、発話する。このときの発話は、発話することが体にインパクトを与え動かすようなものでなければカントールは受け入れなかった。心理的な描写は一切必要とされなかった。動きが発話の意味内容を描写することを目指さなかった。その動きや発話をカントールが取捨選択する。ふたたび俳優から動き、発話の提案がある。これを繰り返す。最終的にシーンは固定されたものになる。
Q.2 カントールは照明に対してなにか特別な考え方を持っていたか?
A.2 それは非常に核心に迫る質問だ。カントールはライティングの効果に関しては「欺瞞だ」と言って一切受け入れなかった。なぜなら舞台上のすべては対等であるとの考えがあったからだ。何か一つが他よりも強い印象を与えることを嫌った。
Q.3 カントールは怒りっぽい?
A.3 時々。官僚的でシステム至上主義的な出来事や、舞台のテクニカルな失敗や遅延に対しては非常に怒った。しかし反面、非常に優しく子供のような時さえあった。いつもカントールは俳優である私に生きるために十分なお金があるかどうかをだれもいないところで深刻そうな顔で聞いてきてくれた。あるいは皆で食事をしているときに、自分だけ話の輪に入れずに注意を向けられていないと感じると、心細くなるのか悲しいような表情になり、果ては不機嫌になってしまったりした。
Q.4 発話と動きの関係は?発話を言葉ではなく音として捉える、といったような演出だったのか?
A.4 ちがう。発話するとき、俳優として自分は意味内容を伴ったまま、発話していたし、そうでなければ動きを提案することはできなかっただろう。音として、というほど解体はしていない。常に念頭において欲しいのだが、あくまでもカントールの演出の基本はクラシックである。音楽に例えるとジョンケージというよりもマーラーのようなものだ。クラシックな流れがあり、そこに突然ずれた別な要素が挿入される。
Q.5 若い俳優と年をとった俳優で、カントールは対応に差をつけたか?
A.5 差はつけなかった。ただ、年配の人間に対しての配慮はあった。無理な動作や長時間の稽古を強いることはなかった。
Q.6作品から常に、カントールと俳優たちの信頼関係を感じるが、それはどのようにして可能だったのか?
A.6 まず、カントールはオーディションをしない。俳優であろうがなかろうが出会ったときのお互いの閃きを大切にしてメンバーを決めていた。だからCricot2には職業俳優もいたが、彼らは数の上では常にマイノリティだった。Cricot2に参加していた俳優はそれぞれ主体的に作品に関わる素養をはじめから持っていた。
また、カントールは舞台上であるものが主であるものが従という関係を作ることを好まなかった。俳優にしろオブジェにしろすべての要素が絵画の画面のようにイコールであり、何が欠けても成立しない空間だった。
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